まぐろとmixiというメディア
夏休み期間中は大学には行かないので大学の友達とは全然会えません。劇の稽古を見に行こうかとも思ってるんですが、なかなか行けず。特に俺が通っている大学のように、家から2時間以上かかるところにキャンパスがあると、交通費もバカにならんし、そもそも行く気がしない。
そんなわけで、大学のみんなの様子はブログやmixiなどを通して把握するわけです。ブログが更新されてたら、「あ、こいつはまだ生きてるな」とか、mixiに足跡が残されていたら「こいつもまだ生きてるな」とか。
消息が知りたいなら連絡とりゃーいいじゃねえかと思われるかもしれませんが、特にこっちから連絡取る用事もないし、「元気?」とか聞いてもねぇ・・・。
だからブログも日記も更新されてなくて、コメントも残してくれないし、足跡も残さない、ってなると何か不安になるわけです。「なんかあったのか?」と。
でもこれってインターネットの普通の感覚からすると少し妙じゃないか? いや、いいんだけどさ。
そもそもインターネットが生まれたきっかけはアメリカ軍の対ソ連用の情報網構築にあるそうだ。そのとき目指されたのは情報の共有で、どこか一箇所がやられてもその他が機能できればOKという感覚だったらしい。
それが徐々に性格が変容し、個人でもHP作成ができるようになると情報の発信という性格を帯びてくる。アドレスさえわかれば一応どこの国のどこの言語のHPだろうが見れるわけだから、HPを作った時点で理論的には世界中に自分の情報を送り届けることになる。実際そううまくはいかないけれど、俺がチャチャのHP作成した理由もその辺にある。
そこからさらに発展して、PCが普及し、インターネットの環境も整備される。そこでブログのように普通にPC使える人なら誰でも自分の言いたいことが書けるようになると、ただ単に自分の持ってる情報を発信・共有するだけじゃなくて、みんなに自分のメッセージを伝えるツールにもなる。
自分が今・ここで生きてるよーってみんなに伝える役目も果たす。それがウェブ上で出会いを生み出すこともあるが、逆に言えばウェブ上で生きていないとこの世から消えてしまったんじゃないかと思える。ちょうどちょっと前の「つぶやきシロー死亡説」のように、芸能人がテレビに出ないと「死んだ」とされるのに似ている。
これは芸能人という特殊な職業の人が、テレビという(一般人が主役になれない)特殊なメディアに出るか出ないかの話だが、PCやブログがここまで浸透すると、同じ現象が一般人とウェブの中でも起こりそうな気がする。
そこまで深刻にはなってないけど、何か自分のmixiの使い方を考えるとそういう面が強いように思う。
佐々木俊尚の『グーグル Google ―既存のビジネスを破壊する』(この本面白いから、読んだほうがいいよ。Web2.0とかに興味ある人は梅田望夫の『ウェブ進化論』とあわせて読むことをオススメします)には、グーグル検索に引っかからないサイトはネット上から消えたものとしてみなされてしまうという現象が、「グーグル八分」という名前で紹介されている。
ウェブの世界は奥が深いなあ。
あれ、俺って来年からそういう業界に就職するんだよねえ?
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